自分より先に、人の目に火が点る
「この生は短く、世の虚栄はうつろう。しかし、他人のために生きる者だけが生きているのであって、それ以外は、生きているというより死んでいる」
— 『全集』第4巻「民衆への義務」(1894年6月23日、シカゴからマイソール藩王への書簡)this life is short, the vanities of the world are transient, but they alone live who live for others, the rest are more dead than alive
インドの修行僧です。1863年1月12日、イギリス領インドの首都だったカルカッタで、ナレンドラナート・ダッタとして生まれました。父は高等法院の弁護士です。西洋の論理学・哲学とヨーロッパ史を学び、ヒューム、カント、スピノザ、ヘーゲル、ショーペンハウアー、J.S.ミル、ダーウィンを読み、スペンサーの進化論に傾倒して本人と手紙を交わしています。18歳のとき神秘家ラーマクリシュナに会って弟子になり、後に出家しました。★師の死後、彼は托鉢で暮らしながらインド全土を歩きます。学者から藩王、ヒンドゥー教徒からイスラーム教徒、キリスト教徒、最下層の労働者まで、あらゆる層の人と会って泊まりました。このとき目にした貧しさが、後の彼の言葉のほとんどを説明します。社会事業を始めようとしましたが、資金がありませんでした。★ヴィヴェーカーナンダという名(サンスクリットの viveka と ānanda、「見分ける知恵の至福」)は、支援者だったケートリー藩王アジット・シングの勧めで名乗ったものです。1893年5月31日、シカゴの万国宗教会議に出るためボンベイを出港しました。★★この航路で日本を通っています。1893年7月10日に横浜から出した手紙で、長崎から神戸まで船で来て、そこから陸路で横浜へ向かい、大阪・京都・東京を見たと本人が書いています。京都を「かつての首都」、東京を「カルカッタのほぼ二倍の大きさ」と書き、寺で見たサンスクリットの真言が古いベンガル文字で書かれていたとも記しています。同じ船でジャムセトジー・タタと一緒になり、のちにタタが研究教育機関を作る構想に影響を与えました。★9月11日から27日までの万国宗教会議で、彼は一躍知られる人になります。ただし、この出来事の語られ方には注意が必要です。最も有名な「アメリカの姉妹たち、兄弟たちよ」という呼びかけは、『全集』には載っていますが、1893年に出版された会議の公式記録には見当たりません。公式記録の9月11日の演説は「言葉にならない喜びで胸がいっぱいになります」から始まっています。また同じ記録は、閉会式の演説について「常に関心をもって聞かれたが、閉会の演説で述べられた意見の一部にはほとんど賛同が示されなかった」と書いています。歓迎一色ではありませんでした。★会議のあと、彼は約2年アメリカで講演し、1894年にニューヨークのヴェーダーンタ協会を作りました。ハーバードの東洋哲学の教授職とコロンビアの同様の職を打診されましたが、修行僧としての務めと衝突するとして両方断っています。1895年11月にアイルランド人のマーガレット・エリザベス・ノーブル(のちのシスター・ニヴェーディター)に会い、1896年にはオックスフォードのマックス・ミュラー、ドイツでパウル・ドイセンに会いました。★1897年にインドへ帰り、コロンボからアルモラまで各地で講演します。同じ年の5月1日、カルカッタでラーマクリシュナ・ミッションを設立しました。カルマ・ヨーガ(働きのヨーガ)を理念に据えた、社会事業のための組織です。本部はベルル・マトに置かれました。★1902年7月4日、ベルル・マトで亡くなりました。39歳です。その日は早朝に起きて3時間瞑想し、弟子にヴェーダとサンスクリット文法とヨーガ哲学を教え、同僚とヴェーダ学院の計画を話しています。午後7時に自室へ入り、9時20分に瞑想中に亡くなりました。晩年は喘息・糖尿病・慢性の不眠に悩まされ、1901年の日本での宗教会議には健康上の理由で行けませんでした。★このページの原語欄が英語であることについて。彼の講演と書簡は英語で行われ、英語で書かれています。インドの人だからサンスクリット語やベンガル語の原文があるはずだ、とは考えないでください。英語で話し、英語で書いた人です。★岡倉天心との交流については、外川昌彦の研究があります(書籍3)。
「貧しい少年が教育のところへ来られないのなら、教育がその子のところへ行かなければならない」
If the poor boy cannot come to education, education must go to him.
直前に西洋の諺を置いている——「山がマホメットのところへ来ないなら、マホメットが山へ行かねばならない」。印刷本(第5版・1945年)は Mahomet、ウィキソースは Mohammed と綴る。★この手紙は寄付の依頼である。村ごとに無料の学校を作っても、子どもは畑の手伝いか稼ぎに行くほうを選ぶから来ない——だから学校のほうが歩く、という具体的な提案として書かれている。彼はそのあと、村を回っている托鉢僧たちを世俗の科目の教師としても組織すれば、カメラと地球儀と地図を持って村から村へ、戸から戸へ行けると書いた。★このページの引用文も同じ手紙の末尾にある。
「彼らは我々にパンを求めているのに、我々は石を与えている。飢えた人々に宗教を差し出すのは侮辱である。飢えた人に形而上学を教えるのは侮辱である」
They ask us for bread, but we give them stones. It is an insult to a starving people to offer them religion; it is an insult to a starving man to teach him metaphysics.
★★この格言だけは、全集の編集を経ていない同時代の記録でも裏が取れている。1893年に出版された会議の公式記録(バロウズ編、第1巻129ページ)に、ほぼ同じ文で載っている。相違は3点のみ(if you will care/if you will mind、these suffering millions/the suffering millions、souls/soul)。★宣教師を送るキリスト教徒への批判として述べられた。全文はこう続く——インドの飢饉では何千人も餓死したのに、あなたがたキリスト教徒は何もしなかった。インド全土に教会を建てているが、東洋で叫ばれている悪は宗教ではない、宗教は足りている、渇いた喉で叫び求めているのはパンである。★末尾で彼はこう言う。「私は貧しい同胞のために援助を求めてここへ来た。そしてキリスト教国のキリスト教徒から、異教徒のための助けを得ることがどれほど難しいかを、十分に理解した」。
「善をなそうという願いは、我々が持つ最も高い原動力である——他人を助けるのは特権だと、いつもわかっていればの話だが。高い台の上に立ち、五セントを手に持って「ほら、可哀想な人よ」と言ってはいけない。その貧しい人がそこにいてくれることに感謝しなさい。その人に与えることで、あなたは自分を助けられるのだから。祝福されるのは受け取る者ではない。与える者である」
Yet we must do good; the desire to do good is the highest motive power we have, if we know all the time that it is a privilege to help others. Do not stand on a high pedestal and take five cents in your hand and say, "Here, my poor man," but be grateful that the poor man is there, so that by making a gift to him you are able to help yourself. It is not the receiver that is blessed, but it is the giver.
カルマ・ヨーガは「働きのヨーガ」。行為そのものを修行の道とする考え方である。★訳文は原文の冒頭「Yet we must do good(それでも我々は善をなさなければならない)」を落としている。この「それでも」が受けているのは直前の段落で、世界は我々の助けを待ってなどいない、我々がいなくてもうまく回っていく、という話である。つまりこの章は「助けが世界のためになる」という前提を先に壊してから、それでも助けよと言う順番になっている。★同じ章の少し後で、この論理が最後まで進む。「助ける相手に感謝しなさい。その人を神と思いなさい。人を助けることで神を礼拝させてもらえるのは、大きな特権ではないか」。そして「我々が助けた乞食は、一銭も我々に借りていない。我々のほうが、その人に全部を借りている」と書く。★★お礼を言われなくて傷つくことについても、この章は直接触れている——「我々が誰かを助けたと思い、その人が感謝してくれるのを期待する。そして感謝されないから、不幸がやってくる」。
「信、信、自分自身への信、そして信、神への信——これが偉大さの秘密である。自分自身を信じなさい。その信の上に立って、強くなりなさい。それが我々に必要なことだ」
Faith, faith, faith in ourselves, faith, faith in God—this is the secret of greatness. … Have faith in yourselves, and stand up on that faith and be strong; that is what we need.
★訳文は離れた2文をつないでいる。原文では、間に一文が入る——「三億三千万のあなたがたの神話の神々すべてを信じ、外国人が折々もたらした神々すべてを信じていても、なお自分自身を信じていないなら、あなたに救いはない」。省略を示すため原語欄に … を入れた。★彼が「信」と呼んでいるのは、うまくいくと思い込むことではない。この講演で彼は、アドヴァイタ(不二一元論)が説く「すべては一つ」という理解からしか、それは生まれないと言っている。誰の中にも同じ無限の魂があるという前提の話であって、自己啓発の話ではない。★この講演の主題は貧しい人々の教育である。生まれつき賢くない者にこそ、必要なだけの教育と教師を与えよ——それが正義であり理にかなうと彼は言う。
「立ち上がれ、目を覚ませ、そして目標に達するまで止まるな。立ち上がれ、目を覚ませ。この弱さの催眠から目を覚ませ。本当に弱い者などいない」
उत्तिष्ठत जाग्रत प्राप्य वरान्निबोधत — Arise, awake, and stop not till the goal is reached. Arise, awake! Awake from this hypnotism of weakness. None is really weak.
★★冒頭のサンスクリットはヴィヴェーカーナンダ自身の言葉ではない。『カタ・ウパニシャッド』第1章第3ヴァッリー第14詩節(1.3.14)の引用である。彼のものは「目標に達するまで止まるな」という訳し方の側であり、これが彼の標語として広まった。逐語的には「立て、目覚めよ、優れたものに到って知れ」に近い。同じ詩節は「剃刀の刃は鋭く、渡りがたい。その道は険しいと賢者たちは言う」と続く。★この一節は、前の格言(信についての箇所)と同じ講演の中にある。彼はこれを「すべての魂に向かって宣言しよう」と前置きして引いている。★この直前で彼は、カーストも生まれも、弱さも強さも、高さも低さも関係なく、すべての人の背後に無限の魂があると聞かせよ、と言っている。「立ち上がれ」は個人への励ましではなく、身分で人を分ける仕組みへの異議として置かれている。
「狭い穴から出て、外を見てごらん。国々がどう進んでいるかを見てごらん。振り返るな、前を見よ」
Come out of your narrow holes and have a look abroad. See how nations are on the march! … look not back, no, not even if you see the dearest and nearest cry. Look not back, but forward!
★この手紙は日本から書かれている。長崎から神戸まで船で来て、陸路で横浜へ向かい、大阪・京都・東京を見た旅の報告である。日本の街の清潔さ、庭、寺で見た古いベンガル文字のサンスクリット真言、マッチ工場、日本人技師が掘った一マイルの隧道——見たものを列挙したあとに、この呼びかけが来る。★宛先はマドラスの弟子たちで、内容はきわめて厳しい。「日本人にとってインドは今なお、高く善きものすべての夢の国だ。ならば、あなたがたは何なのだ」と書き、一生をむだ口に費やす者たちよ、来てこの人々を見て、恥じて顔を隠せ、と続ける。触れてよい食物か触れてはいけない食物かの議論に何百年も精力を使ってきた、とも。★訳文は省略をはさんでいる。原文では「See how nations are on the march!」のあとに「人を愛しているか。国を愛しているか。ならば来て、より高く良いもののために闘おう」が入る。また前後に「Come, be men!(男らしくあれ)」という当時の言い方が繰り返されるが、訳文には採っていない。★この手紙は、彼が火を灯すときのやり方をよく示している。慰めない。比べさせて、恥じさせて、動かそうとする。効き方も傷つき方も人によるので、そのまま真似することは勧めない。