遠い理想のために、今日を燃やせる
「大事なのは、いえ、すべてはそこにかかっています——たどり着くまで足を止めないという、大きな、そしてきわめて固い決意です。何が来ようと、何が起ころうと、どれほど骨が折れようと、誰が何とささやこうと」
— 『完徳の道』第21章(バリャドリード写本)digo que importa mucho, y el todo, una grande y muy determinada determinación de no parar hasta llegar a ella, venga lo que viniere, suceda lo que sucediere, trabájese lo que se trabajare, murmure quien murmurare
アビラのテレサは、1515年、スペインのアビラに生まれました。父方の祖父は毛織物と絹を扱う商人で、1485年、トレドの異端審問所に自ら出頭してユダヤ教の慣習を告白し、教会と和解した改宗ユダヤ人でした。のちに貴族の資格を金で買ったとも伝えられています。テレサは二十歳の1535年、カルメル会の修道院に入りました。そこから長く、本なしでは祈りがまとまらず、ひどい乾きに苦しむ年月が続きます。1562年、四十七歳のとき、規律を元に戻した小さな修道院をアビラに建てました。以後二十年、国内を回ってさらに十六の修道院を立て、生涯で十七を数えました。『自叙伝』は1575年に異端審問所に押収され、彼女が死んだあとに出版されました。1582年、旅の途上のアルバ・デ・トルメスで亡くなっています。1970年、女性として初めて教会博士に列せられました。
「大きな信頼を持つこと。望みを小さくしないことが、とても大切なのです。努めるなら、少しずつ、すぐにではなくても、多くの聖人が神の恵みによって達したところまで行ける——そう神を信じてよいのです。彼らも、望もうと決め、少しずつ実行に移さなかったなら、あれほど高いところへは上がらなかったでしょう」
Tener gran confianza, porque conviene mucho no apocar los deseos, sino creer de Dios que, si nos esforzamos, poco a poco, aunque no sea luego, podremos llegar a lo que muchos santos con su favor; que si ellos nunca se determinaran a desearlo y poco a poco a ponerlo por obra, no subieran a tan alto estado.
望みの大きさと、歩みの細かさを分けて言っている。望みは小さくするな、進み方は poco a poco(少しずつ)でよい。片方だけ取ると、この人の話は別物になる。なお、ここでの「信頼」は自信ではない。すぐあとで彼女は、自分を頼みとせず、と書いている。
「この謙遜がどういうものなのかを、私たちは分かっておく必要があります。というのは、私が思うに、悪魔は謙遜というものを取り違えさせて、祈る人が先へ進めないようにひどく害をなすからです。大きな望みを持つこと、聖人たちに倣おうとすること、殉教者になりたいと願うこと。それが高慢に見えるようにしてしまう。そして、聖人たちのしたことは感嘆するためのもので、罪人である私たちが実際にやることではない、と思わせるのです」
Mas es menester entendamos cómo ha de ser esta humildad, porque creo el demonio hace mucho daño para no ir muy adelante gente que tiene oración, con hacerlos entender mal de la humildad, haciendo que nos parezca soberbia tener grandes deseos y querer imitar a los santos y desear ser mártires. Luego nos dice o hace entender que las cosas de los santos son para admirar, mas no para hacerlas los que somos pecadores.
謙遜の名を借りて望みを下げさせる声を、彼女は謙遜ではないと見分けた。「自分なんて」と言うとき、それが正直さなのか、手を下ろすための口実なのか。一度分けて考えてみる価値がある。
「この道で大きく進み、望んでいる住居へ上っていくために、大事なのは多く考えることではなく、多く愛することです。ですから、あなたをいっそう愛へ目覚めさせるもの、それをしなさい」
para aprovechar mucho en este camino y subir a las moradas que deseamos, no está la cosa en pensar mucho, sino en amar mucho; y así lo que más os despertare a amar, eso haced.
この直後で彼女は、愛とは「いちばん強い快さ」ではなく「いちばん強い決意」だと言い直している。気持ちが乗るのを待つのをやめる、という話。
「違います、姉妹たち、違うのです。主が求めているのは行いです。少しでも楽にしてやれる病人を見たなら、そのために自分の信心のひとときを失っても構わない。その人を思いやりなさい。相手が痛むなら、あなたも痛みなさい。必要なら、その人が食べられるように、あなたが断食しなさい」
Que no, hermanas, no; obras quiere el Señor, y que si ves una enferma a quien puedes dar algún alivio, no se te dé nada de perder esa devoción y te compadezcas de ella; y si tiene algún dolor, te duela a tí; y si fuere menester, lo ayunes, porque ella lo coma.
内面の手応えを、彼女は達成の証拠として数えていない。深まったかどうかは、誰かの一日が楽になったかどうかで測る。測るものを取り替えている。
「信じてください、マルタとマリアは一緒に歩かなくてはなりません。主をお迎えして、そばにいていただくために。食べるものを差し上げないような、悪いもてなしをしないために。マリアがいつも足もとに座っているだけで、どうやって差し上げられたでしょう。姉が助けていなかったなら」
creedme, que Marta y María han de andar juntas para hospedar al Señor y tenerle siempre consigo, y no le hacer mal hospedaje no le dando de comer. ¿Cómo se lo diera María, sentada siempre a sus pies, si su hermana no le ayudara?
一番奥の住居まで行き着いた話の結びが、台所の話になっている。観想と雑事のどちらを選ぶかではない。片方だけでは成り立たないという、構造の話をしている。