理・受・他・先
時を待つ記録者
今は書き留める。答えは後から来る
司馬遷
紀元前145年頃〜紀元前86年頃(前漢) / 生き延びて、書き終える
「この人たちはみな、胸の内に結ぼれたものがあり、それを通す道がなかった。だから過ぎた事を述べて、来る者を思ったのだ」
— 『漢書』巻62 司馬遷伝(報任安書)
此人皆意有所鬱結,不得通其道,故述往事,思來者。
書き終えた彼は、それを世に出そうとしなかった。自序の最後にこう書いている——名山に蔵し、副本を都に置き、後世の聖人君子を俟つ、と。任安への手紙でも同じことを言っている。名山に蔵し、しかるべき人に伝える、と。読者を同じ時代のなかに探していない。二組の写しは、焼失に備えた保険ではなく、時間の設計だった。一方は山に、一方は都に。どちらかが、まだ生まれていない誰かの手に渡るように。会えないことを承知のうえで、彼は受け取りの期日を自分の寿命の外に置いた。
意匠:山中の石室に納められた竹簡のひと揃い。同じ書物の写しが、もう一組だけ都に置いてある
あなたへ
いま、誰にも通じないまま、それでも手を動かしていませんか。説明しても伝わらない。伝わらないから、説明するのをやめた。それでも、やめきれないものだけが手元に残っている。司馬遷は、その状態で書きつづけた人です。彼は書き上げたものを、同じ時代の読者に差し出しませんでした。実際、その書が少しずつ世に出たのは、彼の死後のことです。だから写しを二組つくり、片方を山に隠します。届くのは自分が死んだあとでいい、と決めたのです。彼の言葉が静かなのは、諦めたからではありません。届く時期を、自分の寿命の外に置いたからです。そうすると、手元には今日やることだけが残る。
この人はこう考えた
司馬遷は前漢の人です。司馬氏は代々、天と地の記録をつかさどる家でした。父の司馬談も太史公(史官の長)で、死の床で息子に、自分が論じ著そうとしていた仕事を忘れるなと言い残しています。遷は頭を垂れ、涙を流して引き受けました。三年後に太史令となり、石室金匱におさめられた書を読みはじめます。その五年後が太初元年、暦が改まった年にあたりました。仕事が動きだして七年目、匈奴に降った将軍・李陵をひとり弁護したことで武帝の怒りを買い、獄に下されます。家は貧しく、罪を贖う金がなく、交遊のある者は誰も助けませんでした。科されたのは腐刑、当時いちばん下とされた刑です。彼は死を選びませんでした。書きかけの本があったからです。刑のあと中書令となり、百三十篇・五十二万六千五百字を書き終えました。生年は前145年説と前135年説があり、没年も確かではありません。刑のあとの彼の心のうちを、本人の言葉でいちばん詳しく伝えるのが、旧友の任安に宛てたあの手紙です。
こういうときは、この言葉
自分の人生にはもう意味がないと思えるとき
「人には必ず一度の死がある。その死が泰山より重いこともあれば、鴻の毛より軽いこともある。何に向けて使うかが違うからだ」
人固有一死,死有重於泰山,或輕於鴻毛,用之所趨異也。
— 『漢書』巻62 司馬遷伝(報任安書)
重い死と軽い死という二種類がある、とは書いていない。同じ一度きりの死を何に向けるかで重さが決まる、と書いている。まだ決まっていないのは重さのほうではなく、向ける先のほう。
恥をかいてまで続ける意味が分からなくなるとき
「じっと耐えて生きながらえ、汚れた泥のなかに身を置いて、それでも辞そうとしないのは、心のなかに尽くしきれていないものがあるからだ。何も成さずに世を去り、書いたものが後に伝わらずに終わるのが、悔しいからだ」
所以隱忍苟活,函糞土之中而不辭者,恨私心有所不盡,鄙沒世而文采不表於後也。
— 『漢書』巻62 司馬遷伝(報任安書)
生きる理由を、名誉にも希望にも置いていない。「まだ終わっていない仕事がある」という事実だけに置いている。終わっていないこと自体が、その日の彼を立たせていた。
取り返しがつかないと思ったとき
「これは私の罪なのだ。これは私の罪なのだ。身は毀たれ、もう用いられることはない」
是余之罪也夫!是余之罪也夫!身毀不用矣。
— 『史記』巻130 太史公自序
獄に下されたときの自分の嘆きを、彼は自分の書物の末尾に書き込んでいる。立ち直った話としてではなく、崩れたままの声として残した。この一行のすぐ後から、書きつづけた理由の説明が始まる。
もう何もできることがないと思ったとき
「左丘明は目を失い、孫子は足を断たれ、ついに世に用いられなかった。退いて書物を論じ、そうして憤りを晴らし、空しい文を後に垂れることで自分を見せようとしたのだ」
及如左丘無目,孫子斷足,終不可用,退論書策以舒其憤,思垂空文以自見。
— 『漢書』巻62 司馬遷伝(報任安書)
「空文」は、実際に用いられることのなかった言葉という意味。用いられなくなった者に残された最後の手段として、左丘明や孫子の例を挙げている。その空文が二千年読まれている。
何のためにやっているのか説明できないとき
「天と人との境目をきわめ、古今の移り変わりを通して見て、ひとつの自分の言葉を成す。私もそれをしようと思ったのだ」
亦欲以究天人之際,通古今之變,成一家之言。
— 『漢書』巻62 司馬遷伝(報任安書)
認められる、報われる、という言葉がどこにも無い。目的が自分の外側の大きさで書かれているので、評価が来なくても崩れない。説明できなくなるのは、目的を自分の手柄の側に置いているとき。
今の努力が報われる気がしないとき
「もし私が本当にこの書を書き上げ、それを名山に蔵し、しかるべき人に伝え、大きな町々に行き渡らせることができたなら、私は以前の恥の負債を償ったことになる。たとえ万度殺されようとも、悔いなどあるものか」
僕誠已著此書,藏之名山,傳之其人,通邑大都,則僕償前辱之責,雖萬被戮,豈有悔哉!
— 『漢書』巻62 司馬遷伝(報任安書)
償いの期日を、自分の死んだあとに置いている。今日の自分が報われるかどうかは、もう計算から外れている。外れているから、今日の一行が書ける。
入口になる本
入口
史記列伝
司馬遷/小川環樹・今鷹真・福島吉彦 訳(岩波文庫、全5冊、1975年)
『史記』は全130篇あり、最初から読み通すものではありません。列伝はそのうちの70篇で、国の記録に入れる必要のない人まで含めて一人ずつ立てた部分です。刺客、商人、医者、口の達者な遊説家。国の記録に入れる必要のない人間を、彼はわざわざ書いています。この文庫はそこだけを5冊に分けてあり、一篇が短いので、気になった人物から開けます。司馬遷という書き手の癖——誰を惜しみ、誰に冷たいか——が出るのも列伝です。
まず読むなら伯夷列伝から。列伝の最初に置かれた一篇で、正しく生きた者が報われないのはなぜかを、彼が地の文で問うています。このページの話につながります
読み終えると『史記』が王朝の記録ではなく、報われなかった人間の目録でもあることが分かる
向かないのはこのページの引用を原典で確かめたい人。引用のほとんどは任安への手紙からで、それは『史記』ではなく『漢書』に入っています
本命
漢書
班固/小竹武夫 訳(ちくま学芸文庫、全8巻、1997年〜1998年)
このページの引用と格言は、1件を除いてすべて「報任安書」——友人の任安に宛てた手紙——からとっています。この手紙は『史記』には入っていません。司馬遷の死後に班固が『漢書』の司馬遷伝(巻62)に丸ごと収めたので、今日まで残りました。自分の受けた刑について、彼がここまで詳しく書いた文章はほかにありません。書くことで何を償おうとしていたのかを、本人の言葉でひと続きに読める唯一の場所です。
まず読むなら巻62 司馬遷伝。第5巻(列伝2)に入っているはずです(第5巻が伝第二十から、第6巻が伝第三十五から始まるため)。購入前に目次を確かめてください
読み終えると『史記』のあの淡々とした筆致が、何を抱えたうえでの淡々だったのかが分かる
向かないのは全8巻を揃えるつもりのない人。目当ての一篇のために揃える規模の本です
本命
史記
司馬遷/小竹文夫・小竹武夫 訳(ちくま学芸文庫、全8巻、1995年)
本紀・表・書・世家・列伝の全体を訳した8巻本です。このページの格言のうち一つは巻130「太史公自序」からとりました。自序は『史記』の最後の一篇で、司馬氏の家の来歴から父の遺言、李陵の一件、そして130篇それぞれを何のために書いたかまでを、本人が順に説明しています。列伝だけを読んでいるうちは見えない、全体の設計図がここにあります。最後の一篇から先に読んでかまいません。
まず読むなら巻130 太史公自序。列伝の最終巻に入っています
読み終えると130篇の並び順が、行き当たりばったりではなく一人の人間の設計であることが分かる
向かないのは通読しようとする人。全体は五十二万六千五百字あると本人が書いています
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