哲学者図鑑
理・変・己・今
即断の設計者

迷う時間があるなら、もう手を動かしている

ニッコロ・マキアヴェッリの似顔絵

ニッコロ・マキアヴェッリ

1469年〜1527年(フィレンツェ) / 先に延ばした分だけ、条件は悪くなる

「運命は、私たちの行いの半分を支配している。しかし残りの半分、あるいはそれに近い分は、私たちに任せている。そう考えてよいと私は思う」

— 『君主論』第25章

iudico potere essere vero che la fortuna sia arbitra della metà delle azioni nostre, ma che etiam lei ne lasci governare l'altra metà, o presso, a noi.

職を追われ、拷問を受け、田舎の家に引っ込んだ年の暮れのことだ。彼は昼を宿屋で過ごし、肉屋や粉屋とカードを打ち、小銭一枚をめぐって言い争っていた。そして夜になると家に戻り、戸口で泥の服を脱いで礼服に着替え、書斎で古代の人々に会いに行った。『君主論』はその四時間のなかで書かれている。着替えは見栄ではなく、切り替えの装置だった。
意匠:戸口に脱ぎ捨てられた、泥だらけの仕事着。その奥の小部屋に、折り目のついた礼服が一着だけ掛かっている

あなたへ

言わなければいけないことを、まだ言わずにいませんか。切り出す場面を何度も頭のなかで再生して、そのたびに今日でなくてもいいと結論している。マキアヴェッリは、その先送りに値段を付けた人です。彼が書いたのは、避けた問題は消えないということではありません。避けているあいだに、相手の側の条件のほうがよくなる、ということです。時間は誰の味方もしないが、動かない側には確実に不利に働く。彼自身は、その計算が得意だったのに、自分の人生では間に合いませんでした。四十三歳で職を失い、拷問を受け、二度と公職に戻れないまま死んでいます。この人の言葉が冷たく正確なのは、うまくいった人の助言ではないからです。間に合わなかった人が、どこで間に合わなくなるのかを書いています。

この人はこう考えた

ニッコロ・マキアヴェッリは、1469年にフィレンツェに生まれました。1498年、二十九歳で共和国の第二書記局長に就き、以後十四年ほど、外交の使者として各地をまわり、市民による軍の編成にも携わっています。実際に交渉の席に座り、約束が破られる場面を何度も見た人です。1512年、メディチ家がスペインと教皇の軍を背に復帰し、共和国政府は解体されました。彼は職を解かれます。翌1513年の初め、メディチ家への陰謀に加わったと疑われ、投獄されて拷問を受けました。嫌疑は事実ではありませんでした。釈放された彼は、フィレンツェ郊外の所有地に引っ込みます。『君主論』はその年の末に書かれました。復職を求めて献上したものでしたが、望んだ職は戻ってきません。本が世に出たのは1532年、彼が死んで五年後のことです。1527年、五十八歳で亡くなりました。

こういうときは、この言葉

言いにくいことを、まだ言わずにいるとき

「ローマ人は、不都合を遠くから見て、いつも手を打った。戦を避けるために、それが進むに任せることは決してしなかった。戦は消えてなくなるのではなく、ただ他人に有利なかたちへ先送りされるだけだと知っていたからだ」

e' Romani, vedendo discosto l'inconvenienti, vi rimediorono sempre; e non li lasciorono mai seguire per fuggire una guerra, perché sapevano che la guerra non si lieva, ma si differisce a vantaggio d'altri.

— 『君主論』第3章

先送りしても無くならない、では止めていない。先送りした分だけ相手の条件がよくなる、まで書いている。待つことにも値段が付くという話。

まだ小さい問題だから、様子を見ようと思うとき

「これは医者が消耗熱について言うのと同じことだ。初めのうちは治しやすいが、見つけにくい。時が経ち、初めに気づかれもせず手当てもされなかったものは、見つけやすくなり、そして治しにくくなる」

Et interviene di questa come dicono e' fisici dello etico, che nel principio del suo male è facile a curare e difficile a conoscere, ma nel progresso del tempo, non l'avendo in principio conosciuta né medicata, diventa facile a conoscere e difficile a curare.

— 『君主論』第3章

原語の etico は当時の言葉で、じわじわ衰弱していく熱病を指す。誰の目にもはっきりしてから動く、と決めている限り、動けた時期はもう過ぎている。見つけにくい段階で動けるかどうかだけが分かれ目になる。

こうあるべきだ、と考えるほど動けなくなるとき

「私には、物事について想像されたことよりも、実際に起きていることのほうを追うのが役に立つと思われた。実際には見られも知られもしなかった共和国や君主国を、多くの人が想像してきた。だが、人がどう生きているかと、どう生きるべきかとは、あまりに隔たっている。なされていることを捨てて、なされるべきことのほうを取る者は、身を保つどころか、破滅を学ぶ」

mi è parso più conveniente andare drieto alla verità effettuale della cosa che alla immaginazione di essa. E molti si sono immaginati republiche e principati che non si sono mai visti né conosciuti essere in vero; perché elli è tanto discosto da come si vive a come si doverrebbe vivere, che colui che lascia quello che si fa per quello che si doverrebbe fare, impara più tosto la ruina che la preservazione sua.

— 『君主論』第15章

理想を捨てろ、とは書いていない。どちらを足場にして次の一歩を出すか、という順序の話。足場を取り違えると、理想のほうも一緒に倒れる。

まわりが本当のことを言ってくれないと感じるとき

「へつらいから身を守る方法は、ほかにない。本当のことをあなたに言っても気を悪くされない、と人々が分かること。それだけだ。しかし誰もが本当のことを言えるとなると、今度はあなたへの敬意が失われる」

non ci è altro modo a guardarsi dalle adulazioni, se non che li uomini intendino che non ti offendino a dirti el vero; ma quando ciascuno può dirti el vero, ti manca la reverenzia.

— 『君主論』第23章

両方は立たない、と正直に認めている。彼の答えは全員に開くことでも閉ざすことでもなく、数人を選んでその人たちにだけ何でも言う権利を渡す、という折り合いだった。誰に渡すかを決めるところまでが仕事になる。

人に相談するほど、決められなくなるとき

「したがって、こう結論される。よい助言は、誰から出たものであれ、君主自身の思慮から生まれるのであって、よい助言から君主の思慮が生まれるのではない」

si conclude che li buoni consigli, da qualunque venghino, conviene naschino dalla prudenzia del principe, e non la prudenza del principe da' buoni consigli.

— 『君主論』第23章

集めれば決まる、という順序をはっきり逆さにしている。何を誰に聞くかを決められる人だけが、返ってきた答えを使える。相談して迷いが増えるのは、順序が逆になっているとき。

入口になる本

入口
君主論
ニッコロ・マキアヴェッリ/佐々木毅 全訳注(講談社学術文庫、2004年12月、211ページ)
『君主論』は本文だけなら短い作品です。この版は訳と注を合わせて211ページで、文庫のなかでも薄い部類に入ります。まず一冊を通して読み切ってしまい、全体の形を頭に入れるのに向いています。細かい異同の議論に入る前に、二十六の章がどういう順番で並んでいるのか、どこが有名な章なのかが分かる。その見取り図があるかないかで、次に厚い版を開いたときの負担がまるで違います。
まず読むなら第3章から。このページの格言のうち二つがここにあります。前の二章は分類の話なので、飛ばしても困りません
読み終えると『君主論』が「権謀術数の本」という一言で片づく本ではなく、時間と情報の扱いについての本でもあることが分かる
向かないのは訳の根拠まで追いたい人。分量が抑えられている分、異読や原文の問題に踏み込む記述は多くありません
本命
君主論
ニッコロ・マキアヴェッリ/河島英昭 訳(岩波文庫、1998年6月、387ページ)
このページの引用はすべてイタリア語の原文から訳しましたが、原文そのものが版によって語形の違う作品です。同じ一文が、版を変えると少し別の顔をする。この版は、版元の紹介によればカゼッラ版を基に諸本を参照し、原典批判をへた新訳とされていて、目次には訳注と解説と参考文献が独立して立っています。短い本文に対して387ページあるのは、そこに紙数が割かれているからです。訳文だけでなく、なぜその訳になったかを見られる版です。
まず読むなら気になった章を本文で読み、そのまま訳注に飛ぶ読み方が向いています。訳注のほうが本体だと思って開いてかまいません
読み終えると翻訳が唯一の正解ではないことを、具体的な一文で確かめられるようになる
向かないのは後味の悪い箇所を読みたくない人。『君主論』には、残酷さの使い方や約束の破り方を冷静に論じた章があり、第25章の末尾には運命を女にたとえて力ずくで従えよと書いた一節があります。このページではそれらを引いていませんが、通読すれば必ず出てきます。彼の時代の言葉だからと済ませるのではなく、そこも含めて読む本です
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