哲学者図鑑
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清沢満之の似顔絵

清沢満之

1863年〜1903年(日本) / 有限であることを、認める

「有限とは吾人自己の事なり」

— 『清沢満之全集』
東大を首席で出た男が、自分から最低限の生活に降りていった。
意匠:麦飯と漬物だけの膳の前に、僧衣で座っている

あなたへ

やらなければならないことを、いくつ数えられますか。言葉を選ぶ、期日を守る、親を大事にする、迷惑をかけない。ひとつずつは正しくて、全部やろうとすると立てなくなる。清沢満之は、それを真面目にやり切ろうとして「不可能」に突き当たったと書いています。東大を首席で出た人が、です。彼が見つけた出口は、もっと頑張ることではありませんでした。自分には無理だと認めて、そこから始めることでした。諦めとの違いは、ひとつだけ。考え尽くしたあとかどうか、です。

この人はこう考えた

東京大学の哲学科を首席で卒業し、若くして校長になった。その地位を27歳で捨て、「ミニマム・ポッシブル」と名づけた極限の生活を始める。頭の中の哲学では人の苦しみは解けないと考えたからだ。結核で死に直面した末に彼が書いたのは、人間は有限であり、自力ですべてを制御することはできない、という一行だった。諦めではなく、そこから始まる安心がある。

こういうときは、この言葉

「ちゃんとしなければ」が積み重なって、動けないとき

「言葉を慎まねばならぬ、行いを正しくせねばならぬ、法律を犯してはならぬ、道徳を破ってはならぬ。こうした義務だけでも、実行するのは決してたやすいことではない。真面目にやり遂げようとすれば、最後は「不可能」という嘆きに行き着くほかない」

言葉を愼まねばならぬ、行を正しくせねばならぬ、法律を犯してはならぬ、道徳を壞りてはならぬ(中略)之を實行することは決して容易のことでない。若し眞面目に之を遂行せんとせば、終に「不可能」の歎に歸するより外なきことである

— 『我信念』(1903年・絶筆)

死の12日前に書かれた文章である。真面目な人ほど「不可能」に突き当たる、と本人の経験として書いている。

分からないことに、耐えられないとき

「「知らないことを知らないとせよ、それが知るということだ」とは、まことに人間の知恵の頂点である」

「知らざるを知らずとせよ、是れ知れるなり」とは、實に人智の絶頂である

— 『我信念』(1903年・絶筆)

孔子の言葉を引いている。分からないと認めることを、彼は敗北ではなく到達点と呼んだ。

何が正しいのか、分からなくなったとき

「以前は、真理の基準や善悪の基準が分からなくなっては天地も崩れ社会も治まらぬように思っていた。いまは、真理の基準や善悪の基準が人の知恵で定まるはずがないと決着している」

私も以前には、眞理の標準や善惡の標準が分らなくなつては、天地も崩れ社會も治まらぬ樣に思うたることであるが、今は眞理の標準や善惡の標準が、人智で定まる筈がないと決着して居りまする

— 『我信念』(1903年・絶筆)

基準を作り直した話ではない。基準が無いことに耐えられるようになった、という報告である。

考えても考えても、答えが出ないとき

「自分には何も分からない、となったところで、一切のことを挙げて、ことごとくこれを如来に信頼する。それが私の信念の要点である」

我には何も分らないとなつた處で、一切の事を擧げて、悉く之を如來に信頼する、と云ふことになつたのが、私の信念の大要點であります

— 『我信念』(1903年・絶筆)

考えるのをやめた話ではない。考え尽くして頭の上げようがなくなった、その先の話だと本人が書いている。

入口になる本

入口
清沢満之集
清沢満之/安冨信哉 編・山本伸裕 校注(岩波文庫)
「できない自分を許す」ことが投げやりとどう違うのか、日本語の原文で読める。
まず読むなら「我信念」から。死の12日前に書かれた短い文章に、彼の到達点がそのまま置かれている
読み終えると「できない自分を許す」ことが、投げやりとどう違うのかが分かる
向かないのは如来・他力といった仏教の言葉が前提になっている。宗教の語彙に抵抗がある人はつらい
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