変えられないものを、はっきり見分ける
「もし、あだし野の露の消える時もなく、鳥部山の煙も立ち去らないままに、いつまでも住み果てるのが習いであったなら、どれほど物のあわれもないだろう。世は、定めないことこそ素晴らしいのだ」
— 『徒然草』第7段あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに物の哀れもなからむ。世は定めなきこそいみじけれ
『徒然草』を書いた人です。ただし、その人が誰であったのかは、いま揺れています。生まれは弘安6年(1283年)ごろとされます。これは『諸寺過去帳』にある「観応元年(1350年)に68歳で没した」という記述から逆算された年です。ところがその没年のほうは現在否定されていて、亡くなったのは文和元年/正平7年(1352年)以後とされます。生年だけは矛盾がないので、使われ続けています。出家後の法名が兼好(けんこう)で、俗名の兼好(かねよし)を音読みしたものと考えられています。「吉田兼好」という呼び名は、江戸時代以降のものです。従来は、吉田神社の神職を務める吉田流卜部氏の出で、治部少輔・卜部兼顕の子、六位蔵人を経て従五位下・左兵衛佐に昇った人だと説明されてきました。しかし小川剛生は、この系譜と官歴のすべてが後世の捏造だとする説を出しています。挙がっている根拠はいくつもあります。六位蔵人であれば公家の日記に出てきてよいのに、見当たらない。天皇の側に仕えているはずの時期に、鎌倉へ長く滞在している。七つの勅撰和歌集(『続千載集』以降)に入集しているのに、五位以上なら俗名で書かれる原則に反して、どれも「兼好法師」と記されている。金沢文庫に残る1308年の書状では、越後守・正五位下だった金沢貞顕が、彼を「兼好」と呼び捨てにしている。小川説では、若いころ卜部姓を名乗ったこと以外、出自は分からないとされます。比較的はっきりしているのは、次のことです。少なくとも二度関東へ下り、鎌倉の金沢に一定の期間住んだこと。三十歳前後で出家していること(正和2年=1313年の文書に「兼好御房」と出てきます)。二条為世に和歌を学び、勅撰和歌集に入った歌人であったこと。室町幕府の高師直の使者として洞院公賢を訪ねたことが『園太暦』(1348年)に見えること。『徒然草』がいつ成立したのかは、元徳2年(1330年)から元弘元年(1331年)とする推定が有名ですが、反証もあって定説はありません。★引用に出てくる「あだし野」は京都の化野、「鳥部山」は鳥辺山で、どちらも当時の葬送の地です。煙は火葬の煙を指します。
「仏道を志す人は、遠い先の日や月を惜しんではならない。ただ今の一念が、空しく過ぎることを惜しむべきだ」
されば道人は、遠く日月を惜しむべからず、只今の一念空しく過ぐることを惜しむべし
道人(どうにん)は仏道に志す人。★訳文は段の結論部だけである。段の始まりは「寸陰惜しむ人なし」——わずかな時間を惜しむ人はいない、という嘆きで、そこから商人が一銭を惜しむ心の切実さを引き、一銭を積めば貧しい人が富むように、刹那を積めば命の終わりが来る、と運んでくる。★この段の主眼は「急げ」ではない。同じ段の後半で、飲食・用便・睡眠・おしゃべり・移動でやむを得ず多くの時を失うと数えあげたうえで、そうして残った僅かな暇に無益なことをして日を送るのが最も愚かだ、と言う。削る先を指している。★底本による表記差:校註日本文學大系本は「只今の一念」、國文大觀本は「唯今の一念」。同じ語である。
「名声と利益に使われて、静かな暇もなく、一生を苦しめるのは愚かなことだ」
名利に使はれて静かなる暇なく、一生を苦しむるこそ愚かなれ
名利(みょうり)は名声と利益。★「使はれて」という言い方に注意したい。名利を求めるのではなく、名利に使われる、と書いている。★この段は長く、愚かさを段階にして降りていく。利に惑うのが最も愚か、次に高い官位を望むこと、次に死後に名を残したいと願うこと、という順である。誉める人も謗る人もすぐに世を去るのだから、誰に恥じ、誰に知られたいと願うのか、とも書く。★段の末尾は「万事はみな非なり。いふに足らず、願ふに足らず」。ここだけ取ると全否定に見えるが、その少し前で「強ひて智をもとめ、賢をねがふ人の為にいはば」と断ったうえで、老子・荘子の句を踏まえて述べている箇所である。
「芸を身につけようとする人は、「うまくできないうちは、なまじ人に知られたくない。こっそりよく習い覚えてから出ていくのが、いかにも奥ゆかしいだろう」と常に言うようだが、こう言う人は、一つの芸も習い覚えることがない。まだまったく未熟なうちから、上手の中に混じって、謗られ笑われても恥じず、平然と過ごして打ち込む人は、生まれつきの素質がなくても、道に行き詰まらず、みだりにもせずに年を送れば、素質があって打ち込まない者よりも、ついには上手の位に至り、人徳もそなわり人にも認められて、並ぶ者のない名声を得るのである」
能をつかむとする人、「よくせざらむ程は、なまじひに人に知られじ、内々よく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ。」と常にいふめれど、かくいふ人、一芸もならひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、譏り笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず妄りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、ならびなき名をうることなり
★「」内は兼好が退ける世間の言い分。兼好自身の主張は「かくいふ人、一芸も」以下である。堅固=まったく、完全に。かたほ=不完全なこと。骨(ほね)=生まれつきの素質。堪能(かんのう)=素質のある人。★この文のあと、天下の上手といわれる人も、はじめは不出来と言われ、酷い欠点もあった、と例を出す。★この段は「恥をかけ」という話ではない。段の最後に「道の掟正しく、これを重くして放埒せざれば」——その道の決まりを守り、それを重んじて勝手に遊び回らなければ、という条件が付いている。人前に出ることと、いい加減にやることを分けている。★底本(校註日本文學大系)は「つれなくて過ぎて」。通行本文(烏丸本系)は「つれなく過ぎて」。
「花は満開のときだけ、月は曇りのないものだけを見るものだろうか。雨に向かって月を恋しく思い、簾を垂れこめて春の行方も知らないでいるのも、やはりしみじみと情が深い。今すぐ咲きそうな梢、散りしおれた庭などこそ、見どころが多い」
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ
隈なき=曇りがない。たれこめて=簾を垂らして閉じこもって。★訳文は段の冒頭だけである。この段はとても長く、後半は花見の作法の話に変わる。片田舎の人は花の下にねじり寄って脇目もせず見つめ、酒を飲み連歌をして、果ては大きな枝を心なく折り取る、と辛い書き方をしている。★ただし兼好は「見るな」と言っていない。「すべて月花をばさのみ目にて見るものかは」——月や花を、そう目だけで見るものか、と書き、春は家を出なくても、月の夜は寝所の内からでも思うことこそ頼もしく趣がある、と続ける。見ないことを、見ないままで肯定している。
「所在なさをつらく思う人は、どういう心なのだろう。気の紛れることもなく、ただ一人でいるのこそ良い。世間に従えば、心が外の塵に奪われて惑いやすく、人と交われば、言葉が他人にどう聞こえるかに従って、そのまま自分の心ではなくなる」
つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。世に従へば、心外の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに随ひて、さながら心にあらず
つれづれわぶる=所在なさをつらく思う。「つれづれ」は書名の『徒然草』と同じ語である。★「言葉よそのききに随ひて」——話す言葉が、相手にどう聞こえるかに引っ張られて、もう自分の心ではなくなる。人づきあいが嫌だという話よりも、自分の言葉が自分のものでなくなる瞬間を書いている。★訳文は段の前半までである。段の終わりは『摩訶止観』の引用で「生活、人事、技能、学問等の諸縁をやめよ」。ただし兼好は「いまだ誠の道を知らずとも」と、仏道を知らない人にも開いた言い方をしている。