情・変・己・今
衝動の開拓者
説明は後でいい。まず飛ぶ
伊藤野枝
1895年〜1923年(日本) / 出たあとに、本当の仕事がある
「新しい道は、どこからどこへ至る道なのか分からない。だから、未知につきものの危険と恐怖がある」
— 「新らしき女の道」(『青鞜』第三巻第一号附録・1913年)
新らしい道は何処から何処に到る道なのか分らない。従つて未知に伴ふ危険と恐怖がある。
十七で、親の決めた結婚から家を出た人である。しばらくは、それで立派な仕事をやり遂げたと思っていた。数年後、彼女はその頃のことを「何でもない事であつた」と書いている。門を出たのは関門を出ただけのこと、本当の仕事はその先にある、と。折れた閂を簪にしたのは、記念のためではない。戒めのためだ。
意匠:髪に挿した簪が一本。よく見ると、それは門から折れた閂でできている
あなたへ
思いきって辞めた、別れた、出てきた。それなのに、何かが済んだ感じがしない。まわりは決断をほめてくれるのに、自分ではそれほどの手柄だと思えない。伊藤野枝は、その落差を正確に書いた人です。彼女も十七で家の決めた結婚から出てきて、しばらくは、自分は大変なことをやり遂げたと思っていました。数年後、彼女はそれを「何でもない事であつた」と書き直しています。出ることは関門を出ただけで、本当の仕事はその先、自分ひとりを他人のなかに突き出してからだ、と。これは励ましではありません。あなたがいま感じている物足りなさのほうが正しい、という報告です。
この人はこう考えた
伊藤野枝は、1895年、福岡県糸島郡今宿村の貧しい瓦職人の家に生まれました。上京して上野の女学校に学び、そこで英語を教えていた辻潤と出会います。卒業後、郷里で親の決めた結婚をしたものの、十七歳で婚家を出て東京へ戻りました。1913年1月、平塚らいてうたちの『青鞜』に「新らしき女の道」を寄せ、1914年にはエマ・ゴールドマンの『婦人解放の悲劇』の翻訳を出し、1915年からは平塚らいてうに代わって『青鞜』を引き継ぎます。1916年から大杉栄と暮らしはじめ、評論を書き続けました。1923年9月16日、関東大震災の直後に、大杉とともに憲兵隊に連行され、憲兵大尉甘粕正彦らによって殺されます。二十八歳でした。書いたものの多くは、二十代のうちに書かれています。
こういうときは、この言葉
思いきって飛び出したのに、何も変わっていない気がするとき
「私は立派な仕事をひとつやり遂げた気でいた。他人の知らない多くの苦痛を、自分ひとりで味わった気でいた。本当にえらい仕事をした気でいた。しかし今の私には、それは何でもないことだった」
私は立派な一つの仕事をなし遂げた気でゐた。私は他人の知らぬ多くの苦痛を自分一人で味はつた気でゐた。私は本当にえらい仕事をした気でゐた。併し今の私にはそれは何でもない事であつた。
— 「感想の断片」(『第三帝国』第三九号・1915年)
自分の脱出を、数年後に本人が「何でもない事」と書き直している。出てきたこと自体を成果として数え続けると、そこで止まるという話。
もう逃げ出したのだから、これで済んだと思いたいとき
「それはほんの関門を出たにすぎない。そこから先、自分ひとりを他人のなかに突き出して交渉しはじめるときに、本当の仕事が待っている」
それはほんの関門を出たにすぎないので、それから先き自分一人を他人の中につきだして交渉しはじめるときに本当の仕事がまつてゐるのだと思ふ。
— 「感想の断片」(『第三帝国』第三九号・1915年)
彼女は、家族への反抗と他人との交渉を別の仕事として分けている。前者で通ったやり方をそのまま他人に向けて失敗した、と自分の例で書いている。
遠慮しておくのが大人だと言われるとき
「彼女たちは、まず自分の欲望を後にまわして、周囲を見まわすことを忘れない。私は、私たち女の生活から、この卑怯な、そしてもしかすると狡猾な「謙遜の美徳」と呼ばれるものを追い払わなければならない」
彼女等は先づ自分の欲望を後にまはして、周囲を見まはすことをわすれません。私は私達婦人の生活からかやうな卑怯な、また狡猾な(?)謙遜の美徳と称せらるゝものを駆逐しなければなりません。
— 「婦人の反省を望む」(『第三帝国』第三八号・1915年)
謙遜を「卑怯」と呼び、さらに疑問符つきで「狡猾」とまで呼んでいる。先に遠慮しておけば、望んで断られる痛みを負わずに済む。そこを突いている。
考えがまとまってから動こう、と思っているとき
「本当に自分の欲望を尊重し、積極的な意志をもってどこまでも遂行しようとする勇気があれば、その前にいやでも、もっと考えなければならなくなる」
彼女等は本当に自分の欲望を真実に尊重して積極的な意志をもつて何処までも遂行しやうとする勇気があれば彼女等は、そのまへにいやでももつと考へなければならなくなります。
— 「婦人の反省を望む」(『第三帝国』第三八号・1915年)
順序が逆に書いてある。考えがまとまったから動けるのではなく、本気で通すと決めた人だけが、考えざるを得なくなる。考えている時間の長さは、本気の証拠にならない。
誰も分かってくれない、と感じるとき
「先導者が切り開きながら進むあいだには、世間でいう慰安などは少しもない。終始ひとりである。そして徹頭徹尾、苦しみである。悶えである。不安である。ときには深い絶望も襲う。口をついて出るのは、自分自身への熱烈な祈りの叫びだけである。だから、幸福や慰安や同情を求める人は、先導者にはなれない」
先導者は開拓しつゝ進む間には世俗的の所謂慰安などは些もない。終始独りである。そして徹頭徹尾苦しみである。悶えである。不安である。時としては深い絶望も襲ふ。唯口をついて出るものは自己に対する熱烈な祈祷の絶叫のみである。故に幸福、慰安、同情を求むる人は先導者たる事は出来ない。
— 「新らしき女の道」(『青鞜』第三巻第一号附録・1913年)
慰めが来ないことを、失敗ではなく条件のほうに数えている。理解されないから間違っている、という推論をここで切っている。
入口になる本
入口
村に火をつけ、白痴になれ
栗原康(岩波現代文庫、2020年1月)
先に人生の形を入れてしまうほうが、彼女の文章は読みやすくなります。二十八年しかない生涯に、十七で婚家を出たこと、『青鞜』の引き継ぎ、辻潤・大杉栄との暮らし、そして憲兵隊での死までが詰まっていて、順番を知らないまま評論だけを読むと、誰に向かって怒っているのかが掴みにくいからです。文庫一冊、評伝としては薄い部類に入ります。
まず読むなら最初から順に。時系列で書かれた評伝なので、拾い読みより通しのほうが楽です
読み終えると彼女の評論が、思想の表明というより、その時々の生活からの返事だったことが分かる
向かないのは落ち着いた筆致で読みたい人。版元自身が「爆裂評伝」「体当たりで描き」と紹介している本で、著者の語り口がかなり前に出ます。評伝に中立さを求める人は、先に下の一冊へ行くほうがいいです
本命
伊藤野枝集
伊藤野枝/森まゆみ 編(岩波文庫、2019年9月、442ページ)
このページの引用のうち、「新らしき女の道」からの2件はこの一冊で読めます(「感想の断片」「婦人の反省を望む」は未収録で、青空文庫で全文が読めます)。創作、評論・随筆・書簡、それに大杉栄との往復書簡までが入って442ページ。評論だけを選んだ本ではないので、同じ人が小説で書いたこと、雑誌で主張したこと、私信で書いたことを、並べて見られます。目次に「新らしき女の道」が入っていることは確認しました。
まず読むなら「新らしき女の道」から。このページの引用が出てくる、十代の終わりに書かれた短い文章です
読み終えると「新しい女」という当時の流行語を、彼女自身がどれだけ厳しい意味で使っていたかが分かる
向かないのは思想の文章だけを読みたい人。創作と往復書簡が相当の分量を占めていて、評論集ではありません。彼女の文章は当時の言葉づかいのままなので、一文が長く、読む速度は落ちます
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