情・受・己・今
今を味わう人
明日を心配する前に、今日の茶を飲む
ジョルジュ・バタイユ
1897年〜1962年(フランス) / 無駄は、安全弁である
「生命の世界において、エネルギーは常に過剰である」
— 『呪われた部分』
使い切れなかった分は、必ずどこかで燃える。
意匠:燃やして灰にした札束の前で、静かに座っている
あなたへ
休むのが下手ではありませんか。空いた時間に予定を入れてしまう。何もしない日に、罪悪感がある。バタイユはそれを性格の問題だとは考えませんでした。生き物は、生きるのに必要な量より多くのエネルギーを受け取ってしまう。余った分は、使うか、燃えるかのどちらかしかない。無駄を全部そぎ落とした人が、ある日いきなり壊れるのはそのためです。休むことは怠けではなく、燃え方を自分で選ぶことです。
この人はこう考えた
太陽が地球に降り注ぐエネルギーのうち、植物が使えるのはごく一部で、残りは捨てられる。人間も同じで、生み出したエネルギーを生産に使い切ることはできない。バタイユはこの余りを「呪われた部分」と呼び、必ず消費されなければならないと言った。無駄を徹底的に排除した社会や個人は、いずれ破壊的な形で爆発する。燃え尽きの正体はこれである。
こういうときは、この言葉
働くこと以外に、価値を感じられなくなったとき
「彼らが犠牲を捧げることに心を砕いていたのは、私たちが働くことに心を砕いているのと、少しも変わらなかった」
n’étaient pas moins soucieux de sacrifier que nous ne le sommes de travailler
— 『呪われた部分』第2部「消尽の社会」(アステカについて)
生産に全力を注ぐ私たちのほうが普通だと、彼は考えなかった。何に本気になるかは、時代が決めているだけである。
何のために生きているのか分からなくなるとき
「生は、それ自体が目的である」
la vie est pour elle-même la fin
— 『呪われた部分』第3部(ラマ教について)
つねに獲得し増やすことを目的とする「活動」から、唯一身をかわしている例として挙げられている。目的が要らない生き方が、実在したという話である。
使い切れない気持ちを、持て余すとき
「太陽のエネルギーこそが、その溢れるような発展の原理である」
l’énergie solaire est le principe de son développement exubérant
— 『呪われた部分』序論
太陽は見返りなしに与え続ける。彼の経済学は、儲けではなく、この「与えて減ること」から出発している。
入口になる本
本命
呪われた部分
ジョルジュ・バタイユ/酒井健 訳(ちくま学芸文庫)
「休むのが下手」な人ほど、無駄が必要である理由を理屈で受け取れる。引用はこの本から。
まず読むなら序論と第1部「理論的序説」。ここに主張の全部が入っている
読み終えると休むことが怠けではなく、必要な支出だという理屈が手に入る
向かないのは経済学の本として読むと肩透かしを食う。人類学と神学が混ざった、独特の文章である
入口
呪われた部分 有用性の限界
ジョルジュ・バタイユ/中山元 訳(ちくま学芸文庫)
本編の草稿と断章。短い断片の集まりなので、通読せずつまみ読みできる。
まず読むなら気になった断章から。短い断片の集まりなので、通読しなくていい
読み終えると『呪われた部分』が何を捨てて成立したのかが見える
向かないのは完成した本ではなく草稿である。まず『呪われた部分』のほうを読んだほうがいい
12の質問に答えると
いまのあなたに近い哲学者がわかります
無料・登録不要・名前も連絡先も聞きません
ほかの哲学者